■刀 肥前国忠吉(太刀銘)(江戸時代後期)■



忠吉は九州竜造寺家の武士橋本道弘の子に生まれ、佐賀藩鍋島直茂の後援を以って、埋忠明寿の門に学び新刀期において五指に入る名匠となった。 作風にも変化があり「秀岸銘」「五字忠吉」「住人忠吉」「武蔵」などともよんでいる。 師の明寿も特に目をかけたと見え、自らの彫刻技を振るっている。 この刀は、八代作と思われ、姿造込み総て頃合よく、しっかりとした中に優しさと品位 を備えている。地鉄はよく鍛えて細かく小杢目肌が詰む。梨地肌の如く美しい。彫刻は埋忠一門で、備前景光の孕竜のごとく剣巻竜が精巧をきわめている。刃文は小沸本位 中直刃で直刃沸で焼頭の沸が細かくとても上品である。

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